スリル・ミー 成福ペア
スリル・ミー東京2公演と大阪2公演観劇。
お話の雰囲気を把握しておこうとYouTubeで公開稽古の様子を見た結果、ネタバレ要素満載の九十九年を聞いてしまい、なんとなく察しながら観劇当日を迎えたスリル・ミー。
想像を絶するしんどさ、スリルミー初見に成福ペアは強烈すぎる。
東京公演と大阪公演で役へのアプローチの仕方が違って驚きだったし、多分東京公演の中でも色々演技の仕方を変えているんだろうなって思ったけど、今回は私の見た東京公演の感想をつらつらと。
以降私的スリルミー成福ペアの感想
(*第一人称はわたし、登場人物の方は私で分けます)
福士彼の怒りが凄まじい。父や弟の話になるたびに憎悪が湧き上がっているのがわかった。その憎悪こそが彼のすべてと言わんばかりの激しさ。 家族からの愛を満足に受け取る事ができなかった悲しみや屈辱を、彼は怒りや憎しみに変えることで自分を守ってきたようだった。
だからこそ彼の「何も感じないんだ」という時の焦点の定まらない瞳、乾いた声にはゾッとした。そこからは彼の心に広がる慢性的な飢えが見えた。それは一時的に凌ぐ事はできても本質的に満たされる事はないのだと思う。飢えをしのぐことが出来るのは私からの愛の他ないのだろう。
彼にとって成河私は自分が何をしようともそばにいてくれる存在であるようだった。福士彼は私からの無償の愛を信じて疑わず、しかしそれと同時にその愛が自分から離れることを恐れてもいる。それはどちらも無意識的な思考であり、その矛盾を孕んだこそが福士彼の持つ脆弱さの正体なのだと感じる。
東京公演での福士彼はとにかく脆いという印象。いつ壊れてもおかしくない儚さは、私がいなければ彼はどうなっていたのだろうとさえ考えさせる。それほどまでの私の存在は大きく、家族からの愛を得る事のできなかった彼を支えたのは私の愛に違いないのだと思った。
だがそうであるにも関わらず、福士彼には私へ愛を返そうという様子がない。どこまでも冷徹で、一切の甘さがないのだ。彼は私の愛を執拗に確かめ、その過程で私が傷こうとも顧みることはない。
最初「福士彼の私に対する感情は愛なのか」とすら思った。福士彼の依存と執着に塗れた感情はわたしの知る愛とはあまりにもかけ離れていたのだ。それは愛と呼ぶにはあまりにも異質だった。しかし彼という人間について考えれば考えるほど、彼は確かに私のことを愛していたのだと思えるし、また成河私はそんな福士彼の全てを理解していたように思う。
成河私は彼の孤独も不安も怒りも、彼が自分に酷く依存していることも、彼自身の知らない無意識さえも把握している風だった。彼が自分のことを歪な形であるにしろ愛してくれていたことも知っていて、その上でああいう行動にでたのだろう。
ただ二人でいたかった。動機は本当にただそれだけなのだと思う。それはあまりにも純粋で、だからこそ私の狂気は底知れぬ禍々しさを纏い、恐怖を誘う。
護送車でネタバラシをする時の笑顔に滲んだ狂気はあまりにも幸福そうで恐ろしく、その時の福士彼の表情も見事としか言いようがない。絶望に沈み、心が壊れかけそうになっている様子がヒシヒシと伝わってきた。
私はそれさえも計算済みで、壊れそうで壊れてしまわないギリギリのラインを狙ったのではないかと思う。言うなれば、私の愛はまるで麻薬だ。
個人的な妄想だが、私であれば彼の壊れかけの心に寄生するのことは容易いのではないか。たとえ傷を作ったのが私であったとしても私以外に縋るべき相手がいない彼は確実に私の重い愛に落ちていくのだと思う。 しかしそれは果たして不幸なのか。
私と出会わなければ彼はもっと自滅的で破壊的な道に進んでいただろう。この人生こそが福士彼の得られる最高のハッピーエンドのように思えた。成河私に至っては彼なしの人生など想像できない。
福士彼と成河私はお互いがお互いの欠けた部分を補完しているような雰囲気があり、二人が出会うことは運命なのだと思った。二人を繋いだのは赤い糸ではなく、強固な鉄の鎖のようだったけれど。
以上東京公演のスリル・ミー感想。
観劇後も楽しめるお芝居って素敵だなって改めて思った。
早くCD出して。